このブログはサーバーがJUGEMだから
中国からでも見られるんだけど、
もとのサイトの
www.jianing.infoが、
中国国内から見れなくなってる。
なぜwww
なんかアンチ○○なこと書いたかなwww
まあよし。
明日(ていうかもう今日か)は父の誕生日だ。
今は父が天津に駐在としているのだが、
なんとこの7月から青島駐在になるのだorz
もうけっこういい歳なんだから
会社も気を遣って日本に帰らせるか
そのままにしててくれればいいのに。
意味がわからない。
でも「もう働かなくていいんじゃない?」と
娘として言えるほどの覚悟も蓄えもない。
実際天津と上海は、何かあったら
すぐに飛んでいける距離でもない。
我が家はいつからこう、
未来が見えなくなってしまったのだろうか。
* * *
日本で最後に家族で住んでいた土呂のまわりの
Google地図を見て思った。
家族3人揃って住んでいたのは結局2年だけだった。
大学1年の入学直前に引っ越して、
大学2年が終わった春休みに父のすすめもあって
ひとり暮らしを始めた。
そのときは卒業までひとり暮らしして
またここに戻ってくるものだと思っていた。
ずっと家を出たいと思っていたし。
でもなんでそんなこと思ってたんだろう。
朝起きると朝食があって、
ちょっとゆっくりして出かけて
帰ってきてごはんを食べて、
一日あったことを話して、
時々父が駅で待ってくれたりして。
休みの日はお買い物してごはんを食べて、
みんなでお昼寝して。
そんな暮らしのどこに不満があったのかな。
門限もなかったし、
たまの朝帰りにも寛容だったし、
何が不満だったのかな。
2年だけだったのにいっぱい思い出がありすぎるし、
窓からの景色で、天井の高さで、においで覚えてる。
ひとり暮らし2年目に留学して、
1年後戻ってきたら親の中国赴任が決まっていた。
隣にできたジムに父が通っていたので
一緒に卓球したこととか、
体の具合が悪くなりつつある母とパスタ食べたこととか、
一緒に3人で写真とったこととかを憶えている。
あの時、なんでこんなショッピングセンターのツリーの前で
3人で写真をとるんだろう、と思ったけど。
今から考えるとあれは思い出作りだ。
冷静に考えれば、しばらく本当に一緒にいられないのは
分かっていた。
私はなぜか先が楽しみで見えていなかった。
家をひきはらった時、
ベランダのハーブたちはとっくに枯れていた。
そのときも3人一緒じゃなかった。
私は仕事のためにすでに上海にいた。
* * *
日本での暮らしを懐かしんでいるのは私だけだ、
と、ずっと思っていた。
このあいだ天津で、日本にいた時の話をしたら
母がぼそっと
「日本はよかったね。でももう戻れないね。」
といっていた。
「戻れないわけないじゃない」
と返事して、戻れないと気づいた。
私は日本に戻れる。
父も日本に戻れる。
母は日本に戻っても、体が弱いからあの頃のようにいろいろできないだろう。
それなら父も日本に戻らないだろう。
でも私は親不孝かもしれないけど日本に戻りたいと思っている。
いずれ日本に戻って仕事をしたいと思っているし、
このまま中国にずっといることを
一度も考えたことはない。
そろそろちゃんと話すべきなのだろう。
きっと「好きにしたらいい」といわれるけれど、
父も母も好きな場所にいてほしいし、
私も好きな場所にいたいけど、
3人で楽しく暮らしていた時間が恋しい。
どこかに3人とも楽しく暮らせる場所があるといいのに。
* * *
とりあえず、青島ではないと思うけど、
月末に青島に会いに行こうと思う。